青木惠子さんの「第32回多田謡子反権力人権賞」受賞式。

冤罪犠牲者の会の共同代表、青木惠子さんが第32回多田謡子反権力人権賞を受賞しました。

12月19日(土)お茶の水の連合会館で行われた授賞式に出かけてきました。1995年7月に起きた自宅の火災で11歳の長女が逃げ遅れて死亡。警察は保険金目当ての放火と断定。青木さんに殺人犯の濡れ衣を着せます。それから20年の獄中生活。2006年には最高裁で無期懲役が確定し、青木さんは和歌山刑務所へ移送されます。冤罪を確信していた桜井昌司さんが面会に来て、「俺は29年ムショ暮らしだったけど、こうして出てきている。青木さんの事件はもっと簡単だから、もっと早く出られるよ!」と励まされ、「無期懲役の人でもこうして出てこれるんだ!」と初めて希望と勇気を感じたそうです。

火災の原因は放火ではなく、HONDAの軽ワゴン車からのガソリン漏れであったことが実験で証明され、2012年に再審開始決定。2015年、刑の執行が停止され青木さんは釈放されます。しかし20年に及ぶ獄中生活は、社会に出ていくことへの恐怖を募らせます。出ていきたくない、と何度も思い、社会に出た後もすっかり変わってしまった社会に恐れおののき、出来ることなら刑務所に戻りたい、とさえ思ったそうです。

刑務所の中で一番うれしかったのは、支援者からの手紙だそうです。自由になった今は、全国を奔走し、獄中の冤罪犠牲者を勇気づけ、空いている時間や移動中の電車の中ではいつも獄中の誰かに手紙を書いています。そんな地道な活動が評価されての受賞です。

逮捕当時の取り調べにも話が及ぶと、青木さんの声も震えているようでした。取調室の壁に娘の写真を貼られ、「娘に申し訳ないと思わんのか!よく見ろ!鬼!」と怒鳴られ、机を叩かれたり蹴飛ばされたりしたそうです。その取り調べをしたのが坂本刑事。2016年に青木さんは真っ白な無実を獲得した後も「青木が犯人や」とメディアに語っているそうです。2021年2月には、その坂本元刑事(既に退職済み)に対する証人尋問があるそうです。「今度は私が尋問してやります。何故、過ちを認めないのか。何故、謝罪しないのか。散々机叩かれたから、法廷で嘘ついたら机叩いてやります!」という力強い言葉に盛大な拍手。「頑張れ!応援してるぞ!!」の声が飛びました。

スピーチの最後は自身の経験を踏まえた「再審法改正の必要性」を訴えました。何度ももらい泣きしそうになる素晴らしいスピーチでした。