12月15日(火)布川国賠が結審。桜井昌司さんの最終意見陳述を公開。

2020年12月15日(火)  東京高裁において、谷萩弁護団長と桜井昌司さんが最終意見陳述をして結審となりました。結審の弁論では、最初に谷萩弁護士が捜査の違法性、起訴の違法性、公判活動の違法性について述べ、国と県の態度を批判して20分の弁論を締めくくりました。

そして、桜井さんの感動の最終意見陳述は以下の通り。

私は、昨年の秋、ステージ4の直腸癌、転移の肝臓癌は手術不可能と診断されました。今年の2月には、何も治療をしないままでは余命1年との宣告も受けました。 死を覚悟して自分の人生を振り返りましたとき、20歳で陥れられた布川事件という 冤罪体験の上に、人間として嘘偽りなく、そして揺ぎ無く正義と真実を求めて生きて来られたことに満足を感じました。日本国民救援会を中心とした皆さんの善意に支えられて闘い、その皆さんから頂いた誠実を裏切ることなく、嘘のない人生を生きて来られたことに満足を感じたのです。

布川事件に関わった警察官、検察官は、果たして誠実だったでしょうか。嘘を言わな かったでしょうか。私と杉山を犯人とするために行った警察官の偽証は、今さら覆せません。検察官が有罪とするために行った虚言での証拠隠しや証言の捻じ曲げも覆らないのです。勘違いだとか、書き間違いだとか、全く中身の無い茨城県警の反論、肝心な部分を無視した検察の反論は、どこをどう考えれば出来る主張なのか、理解に苦しみます。この民事裁判になっても続く茨城県警と検察の言い訳と弁明は嘘を真実と語る犯罪行為です。許されるものではありません まず公益の代表として、この裁判に臨む皆さんに問います。

皆さんは公益の代表という立場を理解しておられるでしょうか。再審法にある再審請求人の筆頭は検察官です。再審請求人の筆頭であるということは、犯罪行為を罰する立場であると同時に無実を主張する人の言葉にも耳の傾けるべき立場でもあることを示しています。一方の意見や考えに与せずに、公平に、公正に物事を判断する存在であるのが公益の代表者であるか らこそ、再審請求人の筆頭が検察官なのです。 再審請求以来、この国賠裁判になっても「検察に証拠開示の義務はない、法的根拠が ない」とした弁明を繰り返しますが、これも牽強付会であり、刑事訴訟法制定の精神を 汚す主張です。確かに刑事訴訟法には証拠開示せよとは書かれていませんでした。では、証拠開示しなくて良いと書かれているのでしょうか。それも書かれてはいません。そもそも刑訴法に証拠開示のあれこれが書かれなかったのは、公益の代表者である検 察は、被告とされた人に有利、不利を問わずに証拠を提出するものという信頼の上に制定されたからこそ、その条文には明示されなかったのではないでしょうか。 その信頼と制定の精神を逆手に使い、まるで裁判がゲームでもあるかのように扱って、ひとたび起訴をしたならば検察に不利な証拠を隠してしまい、法的根拠はないとか提出の義務はないなどと嘯いて恥じない行為は、正義と真実に悖る行いです。公益の代表と いう言葉が泣きます。

地裁判決は、検察が隠していた証拠が原審高裁段階で提出されたならば、その時点で無罪になったと判断しました。であるならば、その証拠を隠したままに起訴したことは 間違いです。起訴の違法も免れないはずです。 その違法性を検察は理解するからこそ、裁判所の「警察から検察に証拠が送致された時期を明らかにして欲しい」との求めを拒否したのではないのですか。「警察から検察に証拠が送致された月日を明らかにすることは、その証拠の中身を明らかにするに等しい、証拠の中身を明らかにすると、今後の犯罪者に証拠隠滅を許す、そうなれば犯罪捜査に支障が生じる、従って明らかにできない」と弁明しますが、そもそも送致日を明らかにして欲しいと求めた証拠書面は、これまでの裁判で内容は明らかになってはいませんか。

風が吹けば桶屋が儲かるよりも奇天烈な論法で、これが正義を 標榜する検察の論理であり、弁明なのかと信じがたい思いです。 隠していた私の最初の録音テープに付いて「個別の問題に認否はしない」と言い逃れ ますが、正直に送致された月日を語れば警察官と検察官がグルとなった偽証が明らかになる、かと言って「その当時は検察に送致されていなかった」と主張すれば嘘になる、だから弁明できなくて「個別の問題では認否しない」と逃げる。 検察の代弁者として法廷に臨まれる皆さんは、このような主張の裏側が簡単に透けて見える弁明で事実を隠し、過去の過ちを言い逃れる主張をして恥ずかしいとは思わないのでしょうか。

私たちの布川事件だけではなくて、これまでに再審裁判で無実になった事件でも、警 察も検察も一度たりとも真摯に反省をしたことがありません。あたかも裁判所が間違っ ているかのような主張をするばかりでした。私と杉山が無実であることを示す証拠はあります。 これまでに何度も申し上げたことですが、それはOMさんの証言であり、その O さんの証言を裏付ける訪問先の証言などです。 事件発生から54年になりますが、今でも O さん親子以外に犯人らしき人物を見た人 は出て来ません。それでありながら、なぜ OM さんの目撃証言調書は、私たちが嘘の自白をした以降の調書しか提出されないのでしょうか。怪しげな捜査メモ以外に提出されないのでしょうか。OMさんが目撃を証言したのは、事件が発覚した直後です。目撃した人物の「人相、服 装、年齢、身長、特徴、そこを通った理由、時間。それに訪問先と、そこでの出来事」 などを聞いて調書に作ったであろうことは、誰が考えても明らかです。どこからどう考えても存在が明らかな調書なのに無きが如くに無視されるのは、なぜでしょうか。

茨城県警も検察も再審裁判当時から「布川事件の証拠は1986年の那珂川洪水で根 本町倉庫が被害にあって窓ガラスが破損して証拠は流失した」と虚偽の主張を重ねました。その主張が嘘であったことは「小池」なる警察官の「警察車両が布川事件の証拠を 運び去った」と語る書面が提出されて明らかです。なぜ「窓ガラスが破損して流失した」と嘘の事実を作り上げて主張したのでしょうか。 人が嘘を語るのは隠したい事実があるときです。茨城県警が隠したい事実、それは私たちが無実と判ってしまう証拠の存在しかありません。その存在と無実を示す調書の内容を認識すればこそ、茨城県警は洪水を奇貨として 「窓ガラスが破損して証拠が流失した」と作り話をして証拠提出を免れたのです。

私が情報公開法に基ついて請求した布川事件の証拠閲覧で茨城県警を訪れたときにも、茨城県警の担当者は「何も残っていない、洪水で失った」ごとき弁明をしました。 この裁判に来ている茨城県警の人たちは、この私の主張が真実だと知っているはずです。今も茨城県警には布川事件の証拠が存在することを知っているはずです。  「録音テープの証言は失念であり、偽証して隠す意味がない」との反論が提出されま したので付け加えますが、早瀬さんも深沢さんも「証人として呼ばれたので、当時のメ モ書きなどを見て記憶を喚起して来た」として証言しました。しかも、早瀬さんと深沢 さんは口を揃えて「録音していない」と答えているのです。偽証です。  偽証して隠したかったのは録音テープを改ざんです。改ざんした事実が明らかになる のを恐れて偽証して隠しただけのことです。だからこそ、私たちを有罪とする証拠とされた警察官調書に「先日録音した」と書か れる杉山の調書が存在しながら、その杉山の録音テープは存在しないと主張して隠して いるのではないのですか。 私と杉山を29年も獄に閉じ込める証拠とされた調書に記載された録音テープを「存 在しない」などと主張されて、誰が信用するでしょうか。出来るでしょうか。ここでも警察と検察がグルになって嘘を語っているとしか思えません。人を馬鹿にす るのもいい加減にして下さい。正直になってください。

最後に裁判所にお願いです。 冤罪の責任は裁判所にもあります。警察も検察も不都合に目を閉ざし、独善的な主張を重ねるのは、何でも警察や検察の言いなりになる裁判官がいるからです。道理に反する主張や事実を述べても、咎めもせずに認める裁判官がいるからこそ、警察も検察も反省しないで、何時までも同じような形で冤罪を作り続けます。 今回の控訴も、中身の無い弁解と主張を重ねるだけだったことを思いますと、高裁な らば地裁判決を覆してくれると甘く考えてのだと思います。裁判所を嘗めているとしか 思えません。  私も冤罪犠牲者の仲間たちも、警察や検察を、いたずらに批判するつもりはありません。社会の正義と安全を守り、人々が安心して暮らせる社会のために大切な存在だからです。ですから、どこでも、何時でも真実に立脚して誠実に職務を遂行する警察官であり、検察官であって欲しいと、嘘を言わない人間であって欲しいと願うばかりです。私を含めた冤罪犠牲者は、真面目な警察官が真面目でいられるように、誠実な検察官が誠実なままでいられるように、法律で偽証や証拠捏造を確実に罰する法律と全面証拠開示法を作りたいと願っています。どうか高等裁判所でも嘘は許されないことを、嘘を語れば責任は逃れられないことを、 厳しく判断してください。そして、嘘を言いたくないと思っている警察官や検察官が真 実だけを主張すれば良くなる法律を作る希望となる判断をしてください。 もう冤罪を背負って54年になります。この辺で普通のオヤジとしての時間を返してくれませんでしょうか。 心からお願い致します。

弁護団の最終意見陳述全文は下記でお読みいただけます。
http://syoujisakurai.seesaa.net/article/479071463.html